ことあれかしだった

ちいさい怪談や奇譚を細々と書いています

昔話

こんばんは。

今夜はちょっと昔話をします。

 

大して勉強もしないで入れるような大学を出て、運良く一部上場に引っかかって、わたしは晴れて社会人になりました。

20代の前半ですし、同期なんかはけっこうみんな有名大学の出身だったので、わたしってハイスペックなんじゃと根拠のない自信に溢れていました。

で、研修を終えて営業職として配属され、毎日怒鳴られ、売上は立たず、深夜まで残業し、休日は返上して客先を回り、珍しく売れたと思ったら些細なミスからクレームに発展し、といった生活を3年ほど続けました。

元々ぼーっとした性格で、雨の感触に感動したり、風の筋を見て感動したり、メルヘンな世界を生きてきたので、社会の荒波に揉まれまくっていました。

気がつけば営業に配属となった同期はほとんどいなくなり、家と会社を往復するだけの毎日を、特に辛くも楽しくもないと感じていたころ。

朝起きると体が動かなくなっていました。

あれ? と思って動こうとするのですが、寝返りをうつこともできません。

仕事に出る時間が迫っていましたが、まーいいかと思って眠りました。

次に目を覚ますと枕元に上司がいて、「大丈夫か?」と半笑いで言いました。

そこから有給を全部消化して、会社を辞めて実家に戻りました。

病院ではうつという診断がされて、そこから2年ぐらい実家でニートしてました。

毎日父親の嫌味を聞いてましたが、わたしの感情が動くことはなく、一日中窓の外を向いて置物のようになってました。

やがて貯金も底をつき、ぼちぼち死のかなと思っていた所、古本屋で立ち読みした内田百閒創作全輯の青炎抄が面白すぎて、死ぬ前にこの人の文を全部読もうという気持ちになりました。

しかし古本の一冊を買うお金もないので、バイトでもするかと近所の酒屋で配達を始め、バイト代だけでは心もとなくなってくると結構な大手に契約社員として潜り込み、実家を脱出したくなったので遠方の大手子会社の正社員の座をもぎ取り、その後も色々ありましたが、なんやかんやあって今は外資にいます。英語全然できんのに。

人生何があるかわかりませんねと言う話ですが、わたしが小説のようなものを書き始めたのは、ひとつは内田百閒のモノマネをしたかったから、もうひとつは、わたしがまだ色んな心の動き、嬉しい時に笑ったりですとか、悲しい時に泣いたりですとか、そういったことのやり方を忘れてしまっていたので、幼い頃の記憶を頼りに取り戻したかった。

シグルイかなんかで言ってましたが、一度壊れてしまった心は戻らないと思います。

敏感なまま、繊細なままでは生きていけない環境に適応するためには、少しずつ自分の心を閉ざして、削って、壊していかなければなりません。

そしてそういった心へのダメージは不可逆です。

ですから、元に戻すと言った発想はナンセンスで、一度変わってしまったものを、変わってしまったなりに好きになって、その上に新たに何かを積み上げていかなければなりません。

そのきっかけが、わたしにとっては内田百閒創作全輯の青炎抄でした。

歳を取るに連れて心は乾いていき、また鈍感になっていきます。

大人になるってそういうことかと思いますが、しかし確かにわたしは、内田百閒創作全輯の青炎抄を読んだ時に、子供の頃のものに勝るとも劣らない、鮮やかな感動を覚えました。

あれがなかったら今頃死んでるか、まだニートしてたんだと思います。

わたしが何か新しいことを始める時、辛いことを我慢しようとする時、面白そうなものに関わりに行く時、責任を負う事を決めた時、すべてあの日の感動をもう一度味わいたいと渇望しているのです。

 

では!