こんな話を聞きました。
樋口さんには人のオーラが見えるそうです。
色で可視化されたオーラは、湯気のようにその人の肩口から立ち上っているように見えるんだそうです。
「子供の頃から、ずっと。だからオーラの色に意味があるんじゃないかって思ってね。性格診断じゃないが、なぜその人からその色が出るのか。考えるのがライフワークになった」
わたしが「うさんくせースピリチュアルもどきじゃねーか」と言うと、
「ふしののオーラは真っ黒。とか言ってほしいんだろ。残念。白橡かな。こんなことやってると色の名前に詳しくなってさ。カラーコーディネーターも取ったよ」
「ほほー。その白橡とやらはなんなのよ」
「こういう系統の色は大体、嘘つきで引っ込み思案」
「ぐぬぬ」
樋口さんは占い師のようなことをやっているわけでもなく、普通に生活しているそうです。
色を分類して、好ましい色のオーラを出す人とは仲良くして、どうでもいい色はどうでもよくて、好ましくない色の人には関わらないようにして、そんな感じで処世のお供にといった使い方をしているとのことでした。
「けど、色だけで判断するのもアレだよ。人には見えないものが見えるけれど、それに頼りすぎるのもよくない。それこそ白橡なんか、面倒くさい性格だから基本近づきたくない色だし」
「本人によく言うな」
ただ、そんな樋口さんでもひとつだけ、色だけで判断することがあるそうです。
「透明。オーラが見えない人がたまにいる」
それは我々にとっては当たり前のことで、普通オーラなんて見えませんから、肩からなんか変なもやもやが出てるとか、、、え? 見えませんよね? 見えないのが普通ですよね?
「オーラがない人は、死ぬか、殺すか、死んでるか。どれか」
見たくもないそうです。
「そんな人は、顔がもうやばい。今はここにいるけれど、この世を見てない。そんな感じ。この世界から切り離されちゃってる感じがする。オーラが生命の何かから発せられていると仮定すると、そんな人達はその、生命の何かが萎縮してるんだろうね。絶対に近寄らないよ。こわいから」
「死んでるか、って、おばけ見えるの?」
「今は積極的に関わらないから比率は分からないけれど、子供の頃に公園でみんなで遊んでたときとかに、たまに混じってたよ」
夕方、ぱらぱらと皆が帰り始めた頃合いに、いつまでも残っている子は決まっていました。
お祖父ちゃんが付き添っていた樋口さん。
ご両親の帰りが遅いたっくん。
お母さんが迎えに来るまで遊んでいるちーちゃん。
いつも顔にアザがあったともちゃん。
オーラがなかった■■■■。
樋口さんはなるべく最後までいるようにしていたそうです。
友だちにさみしい思いをさせたくなかったから。
そうしていつも、樋口さんと■■■■だけになったそうです。
「どりゃ。もうツレもおらんけ。帰って飯食うど」
お祖父ちゃんは明らかに■■■■を認識していたようですが、それに触れることはありませんでした。
「ばいばい」
樋口さんは■■■■に言いました。
「……、……。……」
どんな会話を交わしたのか、どんな顔をしていたのか、今はもう思い出せないそうです。
「テレビとかに映ってる人のオーラも見えるの?」
「いいや。見えない」
「写真は?」
「見えないよ。生じゃないと駄目」
「今まで見た中で一番すごいのは?」
「そりゃもう、……」
色の名前ではカテゴライズできない、目が洗われるような清廉なオーラだったそうです。
では!