こんばんは。
休日はスーパー銭湯がいいですよね。
朝からスーパー銭湯へ行って、風呂入ってビール飲んで、ビール飲んで風呂入って。
天国かここは!
ほんと今更すぎてほんとやばいのですが、最近こればっか聞いてます。
ほんと神です。神曲。
あ、単純に曲がいいって話だけですのであしからず。
サビのYAH YAH YAH~が超有名ですが、この曲の真髄は歌詞にあります。
とにかく肯定的で、強いです。
ハララ様のセリフで、「何だか知らんがとにかくよし!」という名文句がありますが、あれに近いものを感じます。
思考することを強制される環境が続くと、人はそれに順応し、結果事なかれ主義になります。
「どーでもいいから勝ってる方に黙ってついてくわ」というのが楽ですし、身の安全が保証されますもんね。
思考停止という言葉がありますが、考えることを放棄してる訳じゃないんです。
考えに考えた結果、どうやら決まった型があって、その型にハマるのが一番効率いいと判断して自分を最適化してるという訳です。
環境を変えるよりも、自分を変えるほうが簡単です。
ですから、これってある意味自己犠牲みたいなものだと思っていて、「わたしが我慢して済むならそれでいいよ」の積み重ねです。
そんなことやってたらもたなくね? と思いますが、人は慣れます。
慣れて、それが普通になると、自分がどれほどの事をやってのけているかが分からなくなります。
「こいつアホやろ。わたしだったらそんなこと絶対やらんわ」
お互いがお互いにそう思っています。
自分を客観視するってバチクソ難しくって、私の知る限りそれが行えている人間はゴルゴ13だけです。
じゃあどうやって自分のこと客観視すればいいの? となると、これはもう岡目八目、ハタから見れる人に見てもらうしかないです。
学生であればざっくばらんに話せる大人、大人であれば、サラリーマンであれば事業主に、事業主であればサラリーマンに。
でもハタからの視点って何も人格のある個人である必要もないんじゃないかと思います。
それこそ歌詞でも、小説でも、伝記でも、図鑑でも、辞典でも、漫画でも、映画でも。
「そいつぶん殴ればいいじゃん」という言葉に胸を貫かれたような思いになります。
あーそっか、殴りに行けばいいんだ! という明るい、爽やかな狂気。
そういうものを書きたいなあという、憧れのようなものが生まれます。
もっと言うと、そういう風に生きたいなあという諦め。
うおお、詞を書こう!
詞を書くぞ!!
では!