こんばんは。
夜風が気持ちいい季節ですね。
昼間が暑いだけに、ほんと気持ちいいです。
縁側っていいですよ。
虫めちゃ入ってきますけど。
音痴な友達がいて、夜な夜な歌の練習をするために海辺に行ってたそうです。
海っぺりの町で、田舎ですがその分ひとけがないので歌の練習をするのにはたいそう都合がよかったようです。
神様というのはイジワルで、友達は音痴ですが歌うのが好きでした。
でもカラオケとかじゃ恥ずかしくて歌ってられないので、夜の海辺で下手な歌を思い切り歌っては波の音にかき消され、歌ってはかき消されでストレス発散していたのでした。
ある夜、いつものように海辺へやって来ました。
風の音が波の音に変わり、目の前の真っ黒い海はどこから始まってどこまで続くかわかりません。
空を見ると雲ひとつない星空とまんまるのお月さまで、周りも真っ黒なものですからまるで宇宙に放り出されたような気になってきます。
友達は下手な歌を大声で歌いました。
波の音にかき消されても。
でもそれがいいんです。
思い切り歌ってるのに自分の声がほとんど聞こえないので、音痴なのを忘れられるからです。
気の済むまで歌いきって、満足して家路に就こうとしたところ、月明かりにぼんやりと輪郭が浮かぶ人影があります。
全然気づいてませんでしたが、どうやら自分のちょっと後ろに誰かが座っていたようです。
いつからだろうと思うと、友達はモーレツに恥ずかしくなってきました。
やばい下手くそが聞かれてしまったと、すぐに走って逃げようか、それとも何食わぬ顔をしてクールに去ろうかといった選択に迫られます。
そうして友達がフリーズしていると、人影は手を叩きました。
ぱん。ぱん。ぱん。
波の音の間にかすかに聞こえる音は続き、どうやら拍手をしてくれているようです。
「ぶらぼー」
歌のうまそうな声でした。
月の光がだんだんと人影の形を確かにしていきます。
流木に腰かけた少し年下ぐらいの女の子だったそうです。
こんな時間に女性が一人で明かりも持たずとか尋常じゃないぞという思い。
これってもしかしてボーイミーツガール? という思い。
この数分の間に友達の情緒は乱されすぎて、少しおかしくなっていたのかもしれません。
「いつからいたの?」
こんなにスムーズに言葉が出たのに自分でもびっくりします。
友達は女性に免疫がなく、一部を除くと話すことすらまともにできないピュア男だったからです。
「プリテンダーのサビぐらい」
かなり最初だったので、裸にされてしまったような恥ずかしさと、自分の下手な歌をずっと聞いていてくれたのかという、なんというか、なんでしょうね。なんとも言えない気持ちになったのでした。
「ボイトレ? 音域広げる練習?」
女の子は立ち上がると、友達の方に近づいてきました。
「いや。……。普通に、歌ってた」
「そなんだ」
風に乗って女の子の匂いが来ました。友達にはもったいないぐらいいい匂いでした。
「俺音痴だから、人前じゃアレでさ。……」
どうして初対面の、しかも女性にいきなり音痴を打ち明けるのか。
意味不明でしたが、けれど普段はまともに喋ることもできないのに、こうして会話が成り立っているのが不思議でした。
「音痴じゃないよ」
女の子は友達の鎖骨の真ん中あたりを指で押さえました。
冷えていましたが、細くて気持ちいい指だったそうです。キモい。
「顎引いて。それで喉が開くから」
友達は試しに声を出してみました。
今まで経験したことのないきれいな音が出せました。
うわうわなんだこれと思いながら、友達は色んな音を出しました。
びっくりするぐらいスムーズに、出したい音が素直に喉から出てきます。
わーっと叫んだら、波の音にかき消されることなく海の彼方まで通っていくような気持ちのいい音。
やばい覚醒したと興奮しながら女の子の方へ振り返ると、彼女はにこにこ笑っていました。
「歌おう」
そうして二人は夜の海で歌いました。
女の子はびっくりするぐらい歌が上手で、一緒に歌うとこちらも上手になったような気になってきます。
夜。星空。海。風。波の音。砂浜。真っ黒。真っ黒。1人。
自分の音痴を隠してくれる、自分だけの世界だと、ずっとそう思っていました。
不意に現れたイレギュラーの存在によって、彼の世界は崩れます。
もう自分だけの世界じゃなくなってしまった。
この人と2人の世界。
夜。星空。海。風。波の音。砂浜。真っ黒。真っ黒。1人。2人。
では!
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