ことあれかしだった

ちいさい怪談や奇譚を細々と書いています

青い梅雨

梅雨が来ましたね。

ジメジメして嫌ですが、雨を見るのは好きなので何となくウキウキもしています。

雨の音、濡れた色々、あじさい、カエル、水たまり、灰色の景色、などなど。

何となく身の回りがぼんやりとぬくいので、ぼーっとするのにいい季節です。

子供の頃犬を飼っていて、朝晩の散歩をするのはわたしの役目だったのですが、大きい犬だったので振り回されて大変でした。

ある雨の日の夕方、わたしはカッパをかぶって犬を伴い散歩へ出かけました。

家を出てすぐにだんだら坂をのぼり、下っていくと古く広い団地がありました。

あんまりガラがよくなかったらしく、親からは近づくなと言われていましたが、子供のわたしは無敵だったのでへっちゃらです。

団地を抜けるとちいさい山があり、石段が伸びているので犬と一緒に上がっていきます。

長い石段で、両脇は竹藪が鬱蒼としているので昼間でも薄暗く、その時は雨の日の夕方だったのでもう湖の底のように青暗い。竹藪の隙間から吹いてくる風が冷たくて気持ちよかったのを覚えています。

石段を上りきると小さな広場に出ます。

小さい神社の境内で、小さい鳥居をくぐって犬と一緒にそこら辺をぶらぶらするのがいつもの散歩コースでした。

今から思うとご神木か何かだったのでしょう、太く大きく、高い杉の木が一本すみっこに立っていました。

木の根元まで行くと、大きな水たまりがあったのでわたしはそれを眺めました。

雨が木の高いところで葉っぱに当たり、下へ流れて来る途中で他の雨粒と一緒になって、大きなしずくとなったものがぼたぼたと水たまりに落ちて波紋を作ります。

仄青い景色でした。

大きな木も、落ちてくる雨粒も、透明な水たまりも、水たまりをぺろぺろする犬も、ぼんやりと立っているわたしも、後ろのお堂も、鳥居も、空も、周りの竹藪も、すべてが仄青く浮かび上がっていました。

 

花鳥風月という言葉があって、聞いたことないという方はいらっしゃらないかと思いますが、わたしの大好きな言葉です。

↑ググって最初に出てきたのをコピペしてます。

 

そのまんまっちゃそのまんまの意味で、風雅とか艶やかとか、そんな感じのキラキラしたニュアンスで用いられることが多いと思います。

わたしのごく個人的な感覚ではちょっと意味合いが違っていて、花鳥風月を目の前にするとき、きれいだなーですとか、自然はこんなにも美しいのにそれに引きかえわたしは、、、といった何かを頭で考えるのではなく、ただその中に今自分がいることが全てで、心とか、感傷とか、そんなものはどうでもよくて、目に映るものを映ったままにする、変な解釈を加えない、めちゃくちゃわかりにくい説明だと思いますが、そういうものだと思っています。

瞑想に似てるかもしれません。

ものすごく乱暴で失礼な言い方をすると、瞑想とは何も考えないことだと理解しています。

時間の概念を取り払って、ここには今この瞬間しか存在しないと気付くことです。

思考のレイヤーを過去や未来ではなく、今のこの瞬間に合わせると頭の中に言語がなくなります。

5分でも10分でもこれをやるとすごく頭が軽くなるので、やったことない方はぜひお試しあれ。

一番かんたんなのは息を吸って吐いてに集中することです。

 

源平などの名のある人のことを花鳥風月に作り寄せて、能よければ何よりもまた面白かるべし

−−世阿弥風姿花伝

座右の風姿花伝から拝借しました。

能の緊張感ってすごいですよね。

なんか小野小町が婆ちゃんになってるやつを観てる時に、生まれてはじめて緊張しすぎて寝るという体験をしました。

めちゃくちゃ気持ちよかったです。

 

結局なんの話しをしたかったんだっけ・・・?

まあいいや! ではまた!