お待たせ(?)しました。
なんか最近、昔見聞きした怖い話を改めて見聞きしてます。
イナジュン御大もそうですが、昔のアンビリバボーとか。
古い都市伝説とか今見るとこわすぎてちびりそうになります。
ベッドの下 とか、開けないでよかったな(だっけ?) とか。
もっと昔、小学生の頃とかまで遡ると、ぬ~べ~のブキミちゃん的なやつがずいぶん流行っていました。
そうぶんぜ とか、ウロヤケ沼 とか、ネタが割れるとなんてことないダジャレみたいなもんでしたが、当時は非常にこわかった。
宇宙的恐怖な話も読んだりしましたが、実感としてはより身近なこわさに惹かれていました。学校の怪談なんかまさにそうですよね。前頭前野も発達していない時分でしたから、より現実味がある方を好んだんだろうと思います。
学生の頃は、毎年夏になるとコンビニへ行ってユメ先生の超怖い話ε的なやつとか、東京伝説とかを買っては喜んでいました。
とても格好いい文章でしたし、いわゆる人間的な怖い話みたいなのが盛り上がってきている時期でありました。
とても印象的なエピソードがあります。
超怖い話Σ的なやつと東京伝説とを友人の女性に貸して読ませてみたのですが、
「コッチ(超コワ)はこわいからやだけど、コッチ(東京)は面白いからもっと読みたい」
と抜かすので、なんでよと訊いてみました所、
「おばけは自分のとこにも出そうだからやだ。人間の話はニュースとかドラマみたいで楽しい」
逆なんじゃないのと言いたかったのですが、やめときました。
文章の極意は怪談だとか言われているのは、こういうことがあるからなんでしょうね。
おもっくそ虚構の方(おばけ)を真実に感じて(自分のところに出てきたらどうしよう)、ある程度現実感のある方(人間)を遠くの出来事に感じてしまう(自分には関係ない)。
小学生の頃とはまるで反対の考え方になっていて、人間の脳の成長に驚かされるばかりです。